良く分からないが、野田元首相の解散のときもそうだったように、民主党系のリベラル政治家には自殺願望があるらしい。悲劇のヒーロー願望なのか。

 

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 日本の保守が即ち国粋主義に成り下がっているのも、不況を一向に改善させることのない新自由主義的政策に国民が反対しないのも、偏に国民の無能無教養による。著しく近視眼的な民衆は、自己実現が達成されないことを嘆きつつ、その原因としての国政を顧みることは無い。人手が不足するのは低賃金の職ばかりで、子供は育てられず、若者の年金は老人に取られ返ってこないことが確定しているが、政治には無関心だ。なぜか、あまり難しくない資格を取ろうとしたりする。

 

 民主主義が史上最も優れた政治制度であることの前提には、倫理的な理由のほかに、三人寄らば文殊の知恵の発想がある。残念ながら、現状はただの烏合である。

 

 政治家の表向きの発言や、マスコミの報道には国民の声が正義であるという奇妙な前提がある。庶民は正義であると。勿論有権者と視聴者の受けを狙ってのことだが、これは全く事実ではない。

 投票すらまともにできない国民に正義などあるのか。責任を果たしていない庶民に救われる機会が発生しないのは当然のことだ。

 

 有難くも愚民化政策のお陰か、学校で投票の大切さを学ぶことは無く、思想を持つことを奨励されない。思想の有無は、各人の知的レベルに依存している。持てるものは、持たざる者が自主的に投票しないことで、相対的に参政権を高めることができる。持たざる者は唯一の武器を放棄している。その武器は聖剣に匹敵するが。もう一つの正義の剣である資本にも勝るとも劣らないものだ。

 

 持たざる者に正義はないが、権利はあることは忘れてはならない。人権に条件はないからだ。持たざる者が持たないのは、その親が持たざるものだからであって、ただその連鎖の中に生まれてしまっただけだ。