遅かれ早かれ訪れる結果は同じだが

私は時間を浪費しているのだろうか?

五連休を取得したが、遠方へと旅に出る当てもなく、少し凝った料理を作ったり、近所を散歩したり、ネットで植木を注文したり、ゲームをしたり、増税前に掃除機を然したる切迫性もなく買い替えるか検討したりしている。老後のように。

有意義に過ごすべしという妄執に追われることも次第になくなってきたが、一方頭の片隅には、何かに追われることへの中毒が少しだけ残っている。無為に過ごしたという感覚を、連休の最終日に決まって感じるのは、まだ呪縛が残っているからだろう。それが生物学的な加齢によるものなのか、思想の変化によるものなのかは分からない。

パソコンを買い替えて、この文章をなぜ私は打っているのだろう。

やりたいことがないわけではない。

中央アジア、トルコ、北米、南米に行ってみたい。

具体的なことは分からないが、こども食堂もやってみたい。

子供が欲しい。でも家庭はいらない。

短編でもいいから小説を書いてみたい。

何をしたいのか、一年くらい考えていたい。