トゥーンベリ氏のスピーチを聞いて何をあきらめようか

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気候変動を緩和するためには何をどこまで諦めなければならないでしょう。

・便利な暮らし(24h営業、通信販売、複数の自家用車、全自動洗濯乾燥機、食洗器、公共交通機関、インターネット・・・

・誰もが安心安全な社会(医療、バリアフリー、治安、冷暖房、社会保障、国土強靭化、子育て・・・

・安全保障(軍事、シーレーン・・・

・健康で文化的な暮らし(学校、研究、文化活動、映画、本、音楽、スポーツ、まともな住居、上下水道、電気、文化施設とアクセス、旅行・・・

・グローバルな社会(航空、インターネット、W杯・五輪、海外旅行、海外出張・・・

・誰もが個性と能力を生かせる社会(教育、バリアフリー、性差別、人種差別、待機児童、格差解消、東京一極集中・・・

・才能に応じて金銭的に成功する社会(自由市場、自由貿易、減税、規制緩和奨学金職業選択の自由、移動の自由・・・

・自由な社会(インターネット、通信の自由、報道の自由、移動の自由、自由市場・・・

・豊かな暮らし(数年で買い替える自動車、大型テレビ、スマホ、高級家具、宝飾品、箪笥の肥やし、牛肉、コットン、世界各国の食材、旅行・・・

・経済成長(自由市場、自由貿易、減税、規制緩和、資本の自由、インフラ整備、エネルギーの安定供給・・・

・慣習の維持(夏でもスーツを着る、毎日湯船につかる、同じ時間に出勤する、毎日肉を食べる、宗教生活、祭事、伝統農林水産業、帰省、式典・・・

・自己顕示欲や承認欲求(出世、高級品、説教、武勇伝、それらを満たすための行動・・・

 

 一定の合理性のあるものから、不合理なものまで、人々が望むことには常に二酸化炭素の排出が付きまといます。豊かな暮らしや便利な暮らしや慣習については、ある程度仕方ないと、制限を受け入れられる一方、そのほかのことを削るのは耐えられないと感じるのではないでしょうか。

 しかし、どう感じようが削らなければならないところに来ているのではないでしょうか。

 エネルギー上の合理性は、経済上の合理性だけでなく、倫理や正義や幸福とも一致しないのです。そしてそこにバランスなどない。

 例えば、日本における幸せな温かい家庭(20世紀型にしろ21世紀型にしろですが、この場合21世紀型として)には、収入と自己実現のために両親は共働きで、かつ子供との時間が確保でき、病気になっても安心である必要がありますが、それには便利な家電製品や自家用車、保育園や病院等の社会インフラ、所得補償あるいは補助金が必要とされ、すべてに二酸化炭素が付きまといます。でも、今の社会でまともに生きようと思うと全部必要。日本政府の公約(環境省_「日本の約束草案」の地球温暖化対策推進本部決定について(お知らせ))によれば、CO2排出量の削減に対し、一番排出している産業部門は貢献する必要はほとんどなく、それぞれその半分を排出している家庭とオフィスで頑張ることになっていますので削減は必須です。

 ということで、未来につけを回しましょうとやっているわけですが、彼女はそれに怒っている。

 全責任は大人にあるのに、未来は若者の双肩に掛かっているなどと嘯く大人に。