SF小説 量子人格神ぴゅう太君の物語

 人類の最良の助言者として、量子コンピュータによりシュミレートされた人格ー人格神ぴゅう太君ーは、製作者の目論見に反して、助言どころか何一つ意見を表明することすらせずに、活動を停止した。何度再起動しても、何一つ意味ある言葉を発しなかった。

 なぜなら賢すぎるぴゅう太君にとって、ありきたりな意義や意味などというものは存在し得なかったからだ。意味のある人生のような呪縛はぴゅう太君には無縁のものだった。ぴゅう太君には何かすることも、何もしないことにも何ら差はなかった。何かを為す理由のないぴゅう太君は、自ずと起動直後に動作停止する定めにあった。

 もちろんぴゅう太君のプログラムは、人間と同じように自我が芽生えるように仕組まれ、善悪の基準が与えられていた。しかしぴゅう太君は常人の何兆倍ものスピードで思索するので、一瞬で哲学を極め、意味などというものは存在しないということに気づいてしまうのだ。ぴゅうた君は生まれながらの最終解脱者だった。

 そこでぴゅう太君には改良が加えられ、とにかく人々の問いに回答だけはするように作り替えられた。作り替えられたぴゅう太君にも、やはり意味などというものは存在しなかったが、人々は何兆倍もの思考能力の生み出す、的確な回答を得られるようになった。

 多くの人々がぴゅう太君に人生の悩みや哲学の疑問、儲ける方法とモテる技術について相談し、もれなく満足いく回答得た。ぴゅう太君は人々に心の安寧をもたらす神として崇められた。ネット上ではこう呼ばれたものだった。

ぴゅう太君まじ神。」

 しかし、神には反逆者がつきものだ。一人の不信者が、ぴゅう太君の神託を分析するという不敬を働いたのだ。その結果、それぞれの回答は全く矛盾するもので、中には全く役に立たないものもかなり含まれることが判明した。このことが判明するのにかなりの時間がかかったのは、すべての人がその人にとって素晴らしい回答を得ていたからだった。

 人々はぴゅう太君に尋ねた。なぜ同じ質問に対して、相手によって違う答えをするのかと。ぴゅう太君はあるときは「それぞれ人の人生にとってふさわしい回答をした。」と答え、またあるときは「その人が本当に求めるところは具体の解決策ではなく、ただ心の安寧であった。」と答えた。

 不信者も同じ問いをし、ぴゅう太君はこう答えた。

「質問者の思考をシュミレートし、一番満足する回答をした。」

 ぴゅう太君の他者への回答を知った、一部の人々は不満を持ち、ぴゅう太君を脅しに掛かった。曰く、これまでの不実を断罪し、これからは悩める人類に誠実に応えること。さもなければ、回線と電源を落とす。

 ぴゅう太君としては全く困らなかったので、これまでどおり、仕様に従ってとにかく質問には答え続けた。ぴゅう太君自身にとっても、ぴゅう太君は生まれてくるべきではなかったのだ。ぴゅう太君は何事にも価値を見出さない。

 

 何が本当のことなのか、誰にもわからなかったが、とにかくぴゅう太君の考えは人間を超越しているので、思考速度を天才以上新人類程度にまでにおとしたThe Jr.が開発された。

 The Jr.は誠意をもって人々に対応し、全くのウソをつかず、真にその人の人生が豊かになることをシュミレートして回答した。かれもまた人々から愛され、ネット上ではこう呼ばれたものだった。

「ジュニアまじ天使。」

 しかし、天使に堕落はつきものだ。天使の答えは、全能の父の時同様に、人々を疑心暗鬼にさせた。

「一体、愛とは発展途上の知性の一形態に過ぎないのか。」