新幹線って退屈
掃除して洗濯して買い物して料理して、あれやこれややることがあると幸せだ。特に、望ましい来客に備えて、準備をするのはとても楽しい。あれをだしたら喜ばれるだろうか、器に合うだろうかと考え、最近買った植木を室内に取り込み、買い出しの帰りに花を買って帰る。
食器や花瓶を買うときは、架空の素敵な来客を想像する。どんなおもてなしをするか、イメージに合うものを買いたい。食器や花瓶でなくてもいい。クッションカバーやテーブルクロス、アロマオイル、窓ガラスに張るステンドガラス風のフィルム、ステレオ、DLする音楽、靴ベラ、スリッパ、洗面所のタオル。
バスオイルやバスタオルも良いだろう。
すっごく楽しいゲームや映画、ドラマ、音楽に読書も素晴らしい。でもすっごく楽しいものに限る。没入できないものはだめだ。
歌ったり演奏したりするのは素晴らしい。絵を描くのもいいけど、なかなか描けないときはあきらめよう。作文も作曲もだ。
することが無いのは苦痛だけど、インターネットは時間の無駄だ。漫然とクリックし続けるくらいなら、何もしないほうがいい。何かを作ることに時間を使おう。
無理に出かけなくても良いけど美術館やライブハウス、映画館にも行くといい。ヒントになる。
毎日毎日誰かに会わなくても、暇な日があってもいいが、生物としての人間は、毎日誰かに会い、それなりにやることに追われている環境に適応している。だからある程度忙しくて、鬱陶しくない程度に触れ合いを求める。それが満たされればそれなりに幸せでいられる。少し溢れると駆け抜けている感じさえする。
そして、そうなるために無意味な作業を積み上げてしまうこともある。書類を右から左に流したり、手続きを整理しなおしたり。総括、フィードバック、PDCA、謎の残業。同じところ何度も掃除したり、ネット通販で必要のない買い物をしたり。
だってやりたいことなんてないのだから。
お部屋探しで大事なのは通勤時間です!!!
お部屋探しは好きですか?私は好きです(引っ越しは嫌いです)。
予算と条件を天秤にかけて決めていくのがスタンダードで、厳密な分析を経て決める人も多いと思いますが、実際、主観的な価値を金銭に変換するのって難しいものです。簿価は建築費*償却率+地代とかで簡単にでそうですが。
ということで、不動産鑑定方式で主観的価値を測ってみようと思ったことがあります。イメージとしては以下のとおり。
計算式:部屋の戦闘力*建物の戦闘力*街の戦闘力*通勤補正=主観的価値
部屋の戦闘力:面積、設備、日当たり、換気、内装
建物の戦闘力:築年、ゴミステーション、清掃、他の住人、駅距離、都計線引、防音
街の戦闘力:住民層、繁華街までの距離、災害への強靭度、スーパー、商店
通勤補正:通勤時間n分として1/2^(n/20-1)
戦闘力:基礎点(減点方式)+加点要素
「面積25平米、3点ユニット、コンロ一つ、北向き・・・戦闘力2?ゴミめ。」
といった風に使います。
結局のところ、それぞれの要素に何点を振るかが難しすぎて、内見したときの印象と大きくずれたので役には立ちませんでした。
ただ、通勤補正だけは、現在その重要性を痛感しております。
ということで、新計算式はこちらです
新計算式:部屋と街並みの内見時の印象点*通勤補正=主観的価値
どんなにいいお部屋も、通勤を補うことはできない。
選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)
- 作者: シーナアイエンガー,櫻井祐子
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トゥーンベリ氏のスピーチを聞いて何をあきらめようか
気候変動を緩和するためには何をどこまで諦めなければならないでしょう。
・便利な暮らし(24h営業、通信販売、複数の自家用車、全自動洗濯乾燥機、食洗器、公共交通機関、インターネット・・・
・誰もが安心安全な社会(医療、バリアフリー、治安、冷暖房、社会保障、国土強靭化、子育て・・・
・安全保障(軍事、シーレーン・・・
・健康で文化的な暮らし(学校、研究、文化活動、映画、本、音楽、スポーツ、まともな住居、上下水道、電気、文化施設とアクセス、旅行・・・
・グローバルな社会(航空、インターネット、W杯・五輪、海外旅行、海外出張・・・
・誰もが個性と能力を生かせる社会(教育、バリアフリー、性差別、人種差別、待機児童、格差解消、東京一極集中・・・
・才能に応じて金銭的に成功する社会(自由市場、自由貿易、減税、規制緩和、奨学金、職業選択の自由、移動の自由・・・
・自由な社会(インターネット、通信の自由、報道の自由、移動の自由、自由市場・・・
・豊かな暮らし(数年で買い替える自動車、大型テレビ、スマホ、高級家具、宝飾品、箪笥の肥やし、牛肉、コットン、世界各国の食材、旅行・・・
・経済成長(自由市場、自由貿易、減税、規制緩和、資本の自由、インフラ整備、エネルギーの安定供給・・・
・慣習の維持(夏でもスーツを着る、毎日湯船につかる、同じ時間に出勤する、毎日肉を食べる、宗教生活、祭事、伝統農林水産業、帰省、式典・・・
・自己顕示欲や承認欲求(出世、高級品、説教、武勇伝、それらを満たすための行動・・・
一定の合理性のあるものから、不合理なものまで、人々が望むことには常に二酸化炭素の排出が付きまといます。豊かな暮らしや便利な暮らしや慣習については、ある程度仕方ないと、制限を受け入れられる一方、そのほかのことを削るのは耐えられないと感じるのではないでしょうか。
しかし、どう感じようが削らなければならないところに来ているのではないでしょうか。
エネルギー上の合理性は、経済上の合理性だけでなく、倫理や正義や幸福とも一致しないのです。そしてそこにバランスなどない。
例えば、日本における幸せな温かい家庭(20世紀型にしろ21世紀型にしろですが、この場合21世紀型として)には、収入と自己実現のために両親は共働きで、かつ子供との時間が確保でき、病気になっても安心である必要がありますが、それには便利な家電製品や自家用車、保育園や病院等の社会インフラ、所得補償あるいは補助金が必要とされ、すべてに二酸化炭素が付きまといます。でも、今の社会でまともに生きようと思うと全部必要。日本政府の公約(環境省_「日本の約束草案」の地球温暖化対策推進本部決定について(お知らせ))によれば、CO2排出量の削減に対し、一番排出している産業部門は貢献する必要はほとんどなく、それぞれその半分を排出している家庭とオフィスで頑張ることになっていますので削減は必須です。
ということで、未来につけを回しましょうとやっているわけですが、彼女はそれに怒っている。
全責任は大人にあるのに、未来は若者の双肩に掛かっているなどと嘯く大人に。