ピュアの森 春樹的解釈
そういう名の水が売られていて、私に村上春樹的な文学的な問いを投げかけてくる。意味を純粋に解釈するならピュア、すなわち純粋さという概念で形成された森である。
純粋さの森
春樹風に言えば顕れるイデアというところか。純粋さが林立しているのだ。遷ろうメタファーであると解釈するのは少し無理があるだろう。ピュアが何の比喩であるのか、純粋さの塊のようなものとすれば、ピュアの森とは幼稚園児の群れのようなものであると類推せざるを得ないが、これは水のイメージに全くふさわしくない。やはりこれはイデアの顕れを表現していると考えるのが妥当だ。概念そのものが漂う森なのだ。
この世はイデアを映す影だという。この水もまた、イデアの影なのだ。群れを成す純粋さのイデアの影。どうだろう、美味そうだろうか?
ニルフガード・レモンⅡ
年末につけたリモンチェッロ。いい感じに嫌な色に抽出出来たので、いよいよ砂糖水で割って完成だ。純粋なレモンの香りとアルコールの匂い。味は・・・このままでは飲めたものではない。舐めただけで口いっぱいに広がるヒート感とレモン。レモン風味のリステリンを最強にした感じが近いだろうか。こんなものを飲んで瞑想すると体力が回復なんて、流石はウィッチャーだ。
原液を砂糖水750g(濃度33%)で割ると白濁して完成形の色に。一週間寝かせると完成です。
写真では今一つ伝わらないが、大分白くなったレモンの皮。水分が抜けてパリパリ。まだ何かに使える気がする。挽いて一味と混ぜる?
全然分からない。写真は難しい。前から気になっていたけど、surfaceのカメラは室内で撮影するのに向いてない。さらに笊で濾したまま置いておいたら部屋にアルコール臭が充満。
寝かせた後に、今度は冷凍庫に入れてトロリとしたのをストレートでキュッといくのが最高らしい。強いのに飲みやすくて危険と色々なところに書いてあるので、意中の人に飲ませるといいかもしれないし、裏目に出るかもしれない。
私はお酒は飲まないわけだが。*1
私にとってお酒とは、そう、ケンミンの焼きビーフンのようなものなのだ。稀に飲むとオイシイよ。毎日飲むとかなり飽きる。
*1:飲めるけど飲まない
センスがない
私は味覚の鋭いほうではない。鈍いほうでもない。まずまずの方である。
料理は得意な方だ。作るのは好きだし、私の作ったものが残されるということもないから、そんなにひどい味ではないだろう。ジャムがうまいだけかもしれないが。
料理が得意かどうかと、味覚の鋭さはそこまで関係がない。作るのと食べるのとは違う。例えば料理が苦手という人の中には、献立を考えるのが苦手な人がいるが、別に舌に問題があるわけではない。料理に関する発想力や知識が足りないだけだ。ポルトガルにタラのコロッケがあるから、きっとポテサラに焼き魚を入れても合うだろう・・・とか。
味付けがオカシイというのであれば味覚の問題だが、フツーの味覚をしていればそんなことにはならないだろう。
味覚の鋭い同僚がいて、レモン汁をやや入れすぎたジャムが、サクランボジャムであることを当てて見せた者がいる。ほかの同僚は「え~?アプリコットぉ?」とか言っていた。作った私も当たるとは思っていなかった。しかし彼女は料理好きではないし、白米嫌いの偏食である。彼女のように鋭い人は白身魚5種盛りの鮨も見分けられるかもしれない。
生来のセンスは変えられないが、ある程度知識で補うことはできる。例えば唐辛子はただ辛いわけではなく、うま味がある。パプリカパウダーや韓国唐辛子を舐めてから、頑張って鷹の爪を噛んでみると、辛さ以外の味に気づく。
サクランボだって、きっと他の果物にはない味の特徴を言葉で理解して、その味を探しながら味わえば、見分けがつくのだろう。
しばらく食べない、という方法もある。子供の頃には好きでよく食べていたお菓子も、大きくなるにつれ食べなくなって、独り立ちすると買う機会もなく、何年も食べなかったりする。美容院の茶請けか何かで、久しぶりに食べてみるとビックリするほど美味しくなかったりするものだ。久しぶりに食べるものには敏感になれる。
分からないものは分からない、ということもあると思う。私は何杯飲んでもコーヒーは嫌いだ。
部分的に小説 腹割れスコーンの恋
完全なる寝正月を心にー鉄よりもなお固くー誓った私は、NETFLIXを契約し、ウィッチャーを見て心で血を啜った後、料理系のドラマやドキュメンタリーを漁っていた。世界各地の料理について、家庭料理について、生産者に重きをおくもの、家庭の台所の中で個人の料理として完結するもの、さまざま番組が画面を流れた。
実家へ戻った2日間以外は、毎日自分の部屋で料理を作った。NETFLIXと料理以外でやったことといえば・・・冷蔵庫探しぐらいのものだ。その話はまた後日。
フォカッチャ、果実酒、ローストポーク、おでん、肉団子の甘酢あんかけ、ビーフステーキ、カレイの煮つけ、インドカレー、蕪と鶏肉のパスタ、桜エビと菜の花のパスタ、ベーグル、ゆず茶。
時間や社会にとらわれず幸福に空腹を満たすとき、束の間彼は自分勝手になり自由になる。誰にも邪魔されず気を遣わずものを食べるという孤高の行為・・・これこそが現代人に与えられた最高の癒しと言えるのである。
サラリーマンの仕事はあまりに退屈で、気晴らしも兼ねて、私は週末の夜、無料塾でボランティアとして子供たちに勉強を教えている。年始の最初の日曜日が、最初の授業であり、休暇の最終日だった。
こどもは好きだ。勉強熱心な子や懐いてくる子は特に可愛い気もするが、集中力のない子でもやはりかわいい。そんなかわいい子供たちと、一部のかわいいボランティア仲間に、この年末年始の満たされた気持ちをおすそ分けしたいと思った。
おすそ分けするならもちろんあれだ。今まで何度も作って、色々な人に渡してきた。万人受けする素朴な材料と味わい。持ち運びのしやすさ。十分な加熱。それなりの珍しさ。
そう、私の頭の中ではすでにメニューは決まっているのです。(上白石萌音と池田イライザと桜田ひより可愛いなあ。)
生地は前日に仕込み、冷蔵庫で一晩休ませる。
生地のレシピは色々見てきたが、これだというのに先日やっと出会った。
本場イギリスからお届けする「スコーン」レシピ イギリス/グラスゴー特派員ブログ | 地球の歩き方
さすが世界中を踏査しているだけのことはある。甘さ的にもすごくいいし、背が出ない理由もはっきりした。コツはリンク先にほぼ書いてあるが、私が思うに以下の3(4)点がスコーン作りにおいて特に大事なポイントだ。
①ダマが命!牛乳を加えたら混ぜない。混ぜすぎるとグルテンが出来すぎて、パンみたいな食感になってしまう。ダマは残ってもいいどころか、残すべき。部分的にパサついてて粉っぽくて、一部はべとっとしている?かまわない。最高だ。
と書いたが、これは粉のタンパク質含有量によって変わるようだ。よくあるフラワーだと膨らみが足りなくなるだろう。
②腹割れにするなら、打ち粉して三つ折りを縦横に各1回、計2回。ダマも消えるだろう。
③縁の鋭い型で抜く。水分が多すぎると、スパッと切れず断面が悪くなる気がする。
(④サブラージュはフープロで秒殺。)
朝起きると、冬晴れの洗濯日和だった。洗濯を済ませてからスコーン作り。オーブンを220度に予熱、昨日寝かせた生地を伸ばして折って型で抜き、オーブンペーパーに乗せて12分焼く。ジャムも手作りしたいところだが、ボランティアまでに用事があって時間がなかったので、コンビニでサンダルフォーのいちごジャムを調達した。紙のカップに入った謎ジャムを置いているイメージがあり、せめてアオハタ位あればというつもりで行ったコンビニだったが、サンダルフォーがあるなんて。
ちなみに自分でジャムをつくるときはこんな風に作っている。
用事の一つは財布探しだ。10年以上使用している長財布。さすがにひび割れ、あまりにみすぼらしい、ということにふと気づいた。内部の仕切りに使われた合皮が加水分解を起こしてボロボロになって黒いカスがはがれ、カードに付着する。店員さんにカスがついたカードを渡すのも恥ずかしい。
最近、荷物を減らしたいという欲求が高まっていたこともあり、二つ折りの財布に買い替えることにした。選んだのは深い青色のコードバンのシンプルな財布。もちろん内側は本革。
モテる男は靴と財布から・・・とか言うだろう?言わない?
夜になり、私はスコーンを携えてボランティアに向かった。こういった無料塾では、休憩時間におやつを配る。朝の教室にしろ夜の教室にしろ、朝食を抜いていたり、夕食前だったり、親が作ってくれなかったり、結構楽しみにしている子も多く、そこそこ重要な要素だったりもする。喜んでくれるといいなと思いつつ、一方で手作りのものを持っていくのは初めてのことで、どきどきする。以前ほかのお年寄りのボランティアから手作りパウンドケーキを頂いたので配ること自体は問題なさそうだが。
「スコーンを焼いてみたんです。」リーダー格の初老の女性が、お菓子を配り始めたのに合わせて申告してみる。
「あら、すごい。〇〇さんが焼いたの?みんなー〇〇さんが、スコーンなんてお洒落なものを作ってきてくださったわよー」
子供たちが集まってくる。
「半分に割って、ジャムを乗せて食べてね。」
「え、割るの?割るの?」
「〇〇さん、ジャムも作ったの?」
「今日は作りませんでしたけど、作ることもありますよ。」
スコーンを初めて食べる子も多い。というか全員初めてかも知れない。縦に割ろうとする子もいる。しかしおおむね好評だ。
「先生が作ったんですか!?」
「美味しいです。」
「ジャムが美味しい。」
中には勧めても食べてくれない子もいる。思春期の男の子とか。女の子は食いつきがいい。
男性には、食の好みが幼稚園児から変わらないような人が多い気がする。食わず嫌いで、珍しいものに拒否感を示す。そういった傾向は、何歳ごろに何が原因で男性に多く作られるのだろうか。 この子たちを観察していたら、謎は解けるだろうか。俺は食には保守的なんだとか言う味音痴にはならないでほしい。
あるいは単に甘いものに興味がないのか、甘いものに飛びつくのが恥ずかしいのか。
「Nさんもおひとついかがですか?」
私はさりげなく、最近よく参加してくれる女子大生のボランティアにも勧めてみる。まゆげが凛々しくて、化粧は薄く、ちょっと美大生風。可愛いなと思いつつ、あまり話したことはない。
「いいんですか?いただきます!」
「ジャムもどうぞ。」
彼女がスコーンを水平に割る。完璧に腹の割れたスコーンは美しく割れる。外はザクザクとし、中はふわっと。ほのかにミルクの香り。誰も知らぬこだわりとしてカルピスバターを使用している。
ざくっ。もぐもぐ。もぐもぐ。
「美味しいです!作り方教えてくださいよ。」
「いいですよ。簡単です。」
会話のきっかけをつかめたところで、女子中学生が割って入ってくる。
「私にも教えてください。」
「いいよー。」
(続く?)
ニルフガード・レモン
九連休だ。国民には希望に満ちた大海原が開かれている。
素晴らしく時間があるので、夏ごろに買ってベランダで育てているレモンを収穫した。塩レモンは意外と使わないし、マーマレードも柚子で作りがち・・・ということで、たまたまレシピを見かけたリモンチェッロを作ることにした。
瀬戸田レモンで作るレモンチェロとレモンシロップ - ぶち猫おかわり
掃除用品のエタノールはラム酒(さとうきび)のにおいがするが、スピリタスは純粋なアルコールの匂い。これにレモンピールを漬けて、砂糖水で割るとリモンチェッロになるらしい。
皮むきに意外と時間がかかるので、1か月だけ入会したNETFLIXでウォーキングデッドを見ながら。なぜ入会したのかというと、ウィッチャーが見たかったからだ。
ゲームのウィッチャー3にはリモンチェッロらしきお酒、ニルフガード
・レモンが登場する。ちなみに全く無くても困らないアイテムだ。
ウィッチャーはゲラルトがシリと出会ったところで終わった。カヒルは青二才キャラのはずでは・・・。
まだ一か月の期間が残っていたので、ウォーキングデッドの前に適当に見た料理番組でフォカッチャを作っていたので、マネして作ることにした。ニルフガード・レモンですっかり南イタリアの気分だったのだ。
ベランダにはローズマリーもあるので練りこんである。写真は強力粉・塩・イースト・水・オリーブオイルで作った生地(室温15分発酵)をオリーブオイルを塗った琺瑯のバットに敷いた状態。端までぴちっと均一に敷き詰めたかったが、難しい。敷き詰めた状態で寝かせば良いのかも。おなじみのくぼみは指で。窪みは焼くと膨らむ分も考慮して深めに。くぼみに塩をかける。
オリーブオイルまみれで不安になるが、揚げ焼きするつもりで上からも多めに追いオリーブをしてから予熱した250度のオーブンで15~20分焼く。もっとかけてもいい。揚げパンだと思え。
ほら、いわんこっちゃない。窪みが浅い!
外はカリカリ、中はふんわり。
夕食はハンバーグだ。ハンバーグの繋ぎはパン粉より砕いたお麩を使うといい。私はにんにくとジュニパーを入れてパンチを訊かせている。
にんじんが二つもある。左下はハンバーグと一緒に焼いただけだ。右上はラぺだ。バルサミコとディルを入れるのが好きだ。
左上はブロッコリーだ。特に味はない。
料理とウォーキングデッドで一日が終わる。素晴らしい!
料理上手でなくても料理は楽しい
ベーグルが食べたい!そんな日もある。
だから私は焼いた。
今年の秋ごろ、試しにフープロでパン生地をこねたり、ハンバーグの種を作ったり、サブラージュしたりして、すごく楽なことに気づいた。そしてべたつく何かを捏ねるのが好きではないことに気づいた。
パン作りに情熱を燃やす人からすれば、それは制作の醍醐味を捨てるようなものかもしれない。パン生地は生きているらしいし。私としては上等なパン屋さんのパンほどではなくても、スーパーのパンより美味しいものが簡単に作れれば満足である。
ベーグルは本来は発酵させないらしいが、私は発酵させた。発酵させるともっちりに、発酵させないと中身が詰まった感じになる。
作り方は適当だ。好みで発酵させたら、捏ねて伸ばして、ねじって輪にすればいい。
材料も強力粉と砂糖、塩、ドライイーストだけだ。茹でるときに蜂蜜を溶かすと良い色がつくらしいが、持っていなかったので砂糖にした。
捏ねるのは嫌いだが、具を用意するのは楽しい。発酵させている間に作ろう。青い背景は食事が不味そうに見えるらしい。
オムレツにはチーズとタラゴン、アジョワンを入れてみた。アジョワンはアリかナシか微妙な線だ。
コールスローはキャベツと玉ねぎにピンクペッパー。
とまあ、こんな程度の料理の腕前というか真剣度合いである。私はこの凸凹したベーグルにまずまず満足している。もちろん来客には出さない。その場合もっと真剣に作る。
料理好きな親や配偶者がいて、毎日手作り料理を食べられるのと、自分が料理が好きで、毎日自分が作った料理が美味しいと思えるのと、どちらが幸せだろうか。
(あるいはドライブ好きでいつも運転してもらえるのと、自分が運転が大好きなのと)
私は代わりに作ってもらいたいとか思うことは全くない。実家では料理が出てきて楽だったとも思わない。美味しいお店に行きたいと思うことはあるが、それも作るのが面倒だからではない。
褒めてもらいたいからでもない。
自分で作ったものが良い出来であると自分で思えたらそれが一番だと思う。
これが最高のベーグルではないことは勿論わかっているというか、自明の理であるし、もう一回作っただけでだいぶ上達するだろう。前回作ったのはおそらく15年前だ。
それでも私は楽しい。自分で作った料理がそれなりに美味しければ十分に感動する。美術館の素敵な絵ほどに。あれあやこれや訳の分からぬ組み合わせを試して、新しい味を見つけるのもーそれは私にとって新しいだけであり世界の誰かが既に何回、何万回もすでに試したことでもー楽しい。
特に味覚が鋭いわけでも、包丁捌きが素早いわけでもない。
私はやらないが、クックパッドとかにレシピを掲載している人もきっとそうだと思う。世界初のオリジナルレシピばかりが載っているわけではないし、我が家の味が、他人の味と同じこともきっとたくさんある。
当たり前のことを書いているだろうか。そのとおりだ。
ローストポークを焼いたと書いてあります。
昨日スーパーに行くとなぜか山のようにカマンベールチーズが入荷され、やけに厚いステーキ肉が売られていた。そしてクリスマスであることを思い出した。そして、店から出るとき、週末にも丸鶏を見て同じことを思い出したということを思い出した。
私は豚肩ロースを買った。
ベランダにはローズマリーがいる。秋ごろ、急にベランダに緑が必要だと感じ、ローズマリー、レモン、レモンマートル、そしてキンモクセイとクリックしたからだ。
テレビとコンピュータは君たちの友達じゃないことを覚えておくんだ。・・・そういうものは君たちに、静かにそこに座ったままで下らないものを買い、ブラックジャックをするみたいに気軽に株式投資をやってもらうためにあるんだ。—カート・ヴォネガット
全部食べられる。あといい香りがする。素晴らしい。この文章は無駄遣いするたびに何度でも引用する。
ローズマリーの葉、塩、胡椒散らして、にんにくの薄切りを張り付ける。
にんにくについては、すりおろしを揉みこむ流派や、小片を肉に差し込む流派などがある。すりおろしなら少量でよく味がつくし、薄切りならあとでガーリックチップにできるし、差し込めば焦げることはない。
それは、どうでもいい。
重要なのは、前日に仕込んでおくことだ。牛肉と鶏肉に前もって塩を振ってはいけないと思う。だが豚と魚には振るべきだ。
110度のオーブンで30分くらい焼いた気がする。そのあとフライパンで強火で焦げ目をつける。
シンプル。飽きたらスナップエンドウと一緒にカレーマヨネーズでもつけるといい。カレー味になる。
そして柚子の季節でもある。
レモンとか柚子は持っているだけで楽しくなる。なんといってもいい香りがする。
白菜の白い部分をゆでで、冷水にとって冷ましてから絞る。柚子も絞る。薄口しょうゆをかける。七味をかける。一味でもいい。ついでに柚子の皮も刻んで混ぜる。冷蔵庫で冷やす。出汁はいらない。
爽やかな冬の味覚です。
鍋の白菜をゆずポン酢で食べているのと同じだろうって?違う!どっちかといえば漬物だ。
なんでローストポークと同じ記事に柚子味の白菜を出したのか。
意外と柚子とローズマリーが合うのか。
そんなことはない。
思い付きで作っただけ・・・。